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仙台家庭裁判所 昭和42年(少)1235号 決定 1967年8月12日

少年 T・R子(昭二二・八・一四生)

主文

この事件について少年を保護処分に付さない。

理由

一、当裁判所の審理の結果によれば次のような非行事実が認められる。

少年は、仙台市○○字○○××番地国立○○○療養所に、准看護婦として勤務し、同療養所第五療棟下において、患者の看護及び医師の指示に基く患者に対する投薬、注射、浣腸等の処置等の業務に従事していた者であるが、右療棟の主治医である○山○一の指示により、昭和四二年六月○○日午前七時三〇分頃、同日の午後に手術予定の同療棟第三号室に入院中の○藤美○子(当一五年)に対し、術前措置として生理食塩水を使用して浣腸を行おうとしたが、同療棟において浣腸に使用する生理食塩水の入つているガラス瓶(直径約二八センチメートル、高さ約四五センチメートル、容量五〇〇〇CC、円型、無色のもの)は、消毒用の三パーセント石炭酸水の入つている右と全く同型のガラス瓶と共に(右の二個の瓶にはそれぞれ、縦二・五センチメートル、横七センチメートルの白紙に「生理食塩水」「石炭酸水」と墨書した貼札が貼付してあつた。)、同療棟の看護器具格納庫内の同一の薬品棚に前後に並べて格納してあり、それらが使用される度ごとに彼此の位置が入れ替ることもあるうえ、右生理食塩水と石炭酸水はいずれも無色透明の液体であつて外見上はそのいずれであるかの区別はつけ難かつたのであり、従つて使用者が生理食塩水を使用しようとして誤つて石炭酸水を使用する虞が多分にあつたのであるから、右薬品棚所収の生理食塩水を浣腸に使用する場合、准看護婦としては、石炭酸水を生理食塩水として誤用することを避けるために、ガラス瓶に貼付されていたところの薬品名を標示する貼札を確認するなどして、右誤用による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右格納庫の薬品棚から生理食塩水を取り出すに当り、容器に貼付されている貼札を確めて自分が取り出そうとするガラス瓶に入つている液体が生理食塩水であるかどうかを確認する措置をとらず、漫然と、前記薬品棚から、前後に並んでいる二個のガラス瓶のうち、偶々手前に置いてあつたものが生理食塩水入りのガラス瓶であると思い込んで、三パーセント石炭酸水入りのガラス瓶を取り出して、この瓶に入つていた三パーセント石炭酸水のうち一〇〇〇CCを○藤美○子に対する高圧浣腸のために同女の体内に注入したことによつて、同日午前一〇時頃、同療棟の処置室において、同女を急性石炭酸中毒により死に致らしめたものである(この事実は刑法第二一一条に該当する。)。

二、本件非行における過失の態様等について検討すると、

少年は、昨年来、浣腸用の生理食塩水を入れた瓶が消毒用の石炭酸水を入れた瓶と共に、前記のように看護器具格納庫内の同一の薬品棚に格納してあつたことは約二〇回に及ぶ浣腸を実施した経験により、知悉していたのであるから、同人が少しの注意を払うことによつて本件事故の発生は容易に避け得たところであり、同人が右薬品棚から生理食塩水入りの瓶を取り出す際に瓶に貼付されている貼札を確めることを怠つたことは前述のとおりであるが、その際に瓶の貼札を確認しなかつたとしても、右薬品棚から取り出した瓶を、瓶の中の溶液を浣腸に適する温かさにまで温めるためにバケツに汲んだ温湯の中に浸す際に、また右のようにして温められた瓶の中の溶液を浣腸用の器具に移注する際にも、少年が今一度瓶の貼札を確認するとか臭気を嗅ぐとかの確認措置をとつていたならば、自分が生理食塩水であると考えている目前の瓶が石炭酸水入りの瓶であることを発見し得べき機会はあつたのであり、少年がそのような措置をとらずにいて右の機会をとらえ得なかつたことは、医師から指示された処置を正確且つ安全に行い、処置に使用すべき薬品を正しく取扱う業務上の責務を負つている准看護婦としては重大な義務違反であり少年の本件過失の態様は重大であつたといわねばならない。さらに少年の本件薬品使用上の過誤が、若い少女の生命の喪失という極めて重大な結果を招来し、死亡した少女の両親をはじめその他の遺族を悲歎の淵に突き落したばかりでなく、この事故が多くの人々が安全適正な診療を受けうるものと厚い信頼を寄せている国立の医療施設において発生したことによつて、それが社会に及ぼした影響は著しいものがあつたといわねばならない。

このような本件の過失の態様、発生した結果の重大性、医療上の過誤に因る事故に対する一般予防の見地等からすれば本件少年を刑事処分に付すべしとの意見にも傾聴すべき点が存する。

三、しかし一方本件を仔細に検討すると、本件事故の発生には次のような事情もあずかつていたと認められるのである。

(一)  本件事故当時の少年の国立○○○療養所における勤務状況等

本年六月当時、右療養所における看護婦の勤務形態は、少年の担当していた第五療棟下においては、日勤(午前八時三〇分から午後五時まで)早出勤(午前六時から午後二時三〇分まで)、遅出勤(午前一〇時三〇分から午後七時まで)、准夜勤(午後四時三〇分から翌日の午前一時まで)、深夜勤(午前〇時三〇分から午前九時まで)の五ツの勤務に分かれており、うち深夜勤は一人制勤務であつた。

しかして、本件事故の発生した六月○○日は少年の六月における第一〇回目の深夜勤に当つており(六月中の少年の深夜勤は五日、六日、一三日、一四日、一七日、二一ないし二三日、△△日、○○日であつた。少年の深夜勤の回数は他の看護婦のそれ-平均月に八回程度-に比べて多いのであるが、それには後記のように少年が定時制高校に通学していたため、授業開始時間の関係上少年が夜間勤務を多く希望していたという事情があつた。)、前日の△△日も深夜勤であつたから、二日連続の深夜勤の終了時の直前に本件事故が発生したことになる。

ところで、一般に国立療養施設(公立・私立の医療施設においてもほぼ同様の事情であると考えられるが)における看護婦の深夜勤は、その勤務の大半が患者の眠つているときの勤務であるので、概して軽症の患者のみを収容する療棟にあつては、日勤、準夜勤に比べて余裕のある勤務であるが、手術後の患者あるいは独立歩行のできない患者等を多く収容する療棟における勤務は夜間とはいえ繁忙であり病室の巡回、投薬、検温、検脈、尿の測定等の処置、カルテ等の記録の記帳、整理等の恒常的な業務のほか、患者からの呼出も相当回数あり、とりわけ患者の起床時である午前六時前後以後は、洗面用具の配布、食事の盛り付け、配膳等の準備、介助に始まつて洗面用具の回収、下膳、排便処理及び次の勤務者への申し送りのための一切の書類の記帳を終らねばならぬ午前八時三〇分頃までの時間帯は深夜勤中最も多忙な時間であることが認められるところ、少年の担当する第五療棟下には、六月○○日当時、主として腰髓カリエス、脊椎カリエス等のカリエス患者が合計四八名入院しており、うち二名の術後患者がおり、三〇余名程度の独立歩行のできない者がいたのであるから、少年はこれら四八名の患者に対する夜間看護を二日連続一人で行つており、このように多数の患者を夜間一人で看護することは患者の容体の急変等不時の事態の発生しうべきことを考えると、夜勤者が療棟を離れて休息することが困難であることは勿論、不時の用務に備えて予め当直医その他への連絡方について措置が講じられているとしても、本件第五療棟下における深夜勤は、本件少年のような未成年の、しかも経験の未熟な准看護婦には、かなりの肉体的、精神的な負担のかかる業務であることはいなめないところであり、さらに夜間の不眠の看護による疲労があるところへ患者の起床時以後は(第五療棟下では午前六時に早出勤者が一名出勤して来るとはいえ)午前九時頃までの間に前に見たような業務のほか、前勤者からの申し送りによる処置(本件事故における浣腸も、前勤者からの申し送りによつて、深夜勤務者である少年において後勤者への申し送りの時までに処置を済しておかねばならぬ仕事であつた。)も果さねばならず、本件事故発生の午前七時三〇分当時には、少年は相当程度疲労していたことは明らかであり、加え、少年の場合、前日の午後一〇時三〇分頃から生理が始まつていたことを考えると、当時同人の注意力がいささか散漫になつていたのもやむをえぬ状況にあつたと思われる。ちなみに、少年は六月△△日も深夜勤に該つていたが、当日は、翌○○日の深夜勤のことを虞つて、学校の第四時限の体育の授業を体力の消耗を防ぐために欠席早退して帰寮しているのであるが、この事実からも、深夜勤が、女子の未成年者である少年にとつて肉体的に負担となつていたことを窺うことができる。

(二)  本件石炭酸水の保管状況

国立○○○療養所では、三パーセント石炭酸水は、非結核療棟(本件第五療棟下もその一つである。)においては、体温計の消毒に使用されており、第五療棟下以外の非結核療棟においては五〇〇CCもしくは一〇〇〇CC入りのガラス瓶に入れていたが、第五療棟下のみ、昨年まで非開放性結核患者を収容していた当時職員の衣服の消毒用に使用していた関係で五〇〇〇CC入りの瓶を使用していたのを非開放性結核患者を収容しなくなつてからも従前のままの容量の瓶に入れて使用しており、その瓶の格納場所としては、他の薬品瓶と違つて容量の大きな瓶であつたために、同じく五〇〇〇CC入りの瓶を使用していた生理食塩水と共に、通常の薬品瓶置場と違つて看護器具格納庫の棚を使用していたこと、そして、生理食塩水と三パーセント石炭酸水の入つた二個の瓶が右格納庫の棚に前後に並べて格納してあることは療棟看護婦長及び看護婦は承知していたが総看護婦長らはこの事実を知らなかつたことが認められる。

思うに、本件石炭酸水入りのガラス瓶には、縦二・五センチメートル、横七センチメートルの大きさの白紙に薬品名を墨書した貼札が貼付されていたことは前記のとおりであるけれども、生理食塩水、石炭酸水はいずれも無色透明の液体であつて液体そのものの外観によつてその区別をつけることは不可能であり、しかも全く同型の容器に入れられている場合には、たとえ右記の如き貼札がそれぞれに貼付されていたとしても、それらがいずれも使用頻度の高い薬品であつて棚における両瓶の前後の位置が入れ替ることもあるし、瓶の貼札が裏側に廻つている場合もあることを考えると、それとこれとを取り違える危険は多分に存するのであり、さらに、生理食塩水と三パーセント石炭酸水とはその薬品の用途が全く異なり、特に後者は人体に誤つて注入されると有害である薬品なのであるから、これら二つの薬品の容器が偶々前記のような事情から大型の五〇〇〇CC入りのものであつたこと、又は他に適当な格納場所がなかつたからといつて、同一の薬品棚に格納することは石炭酸水瓶の格納保管の方法として妥当な方法とはいえず、両者を同じ格納庫中に格納するとしても、棚を違えるとか同じ棚に格納するにしても、両者の間に距離をとつて格納するとか、さらには、どうしても同一場所に置かねばならぬ事情がかりにあつたとしても色の違つた瓶を使用するか又はいずれかの容液そのものに着色剤を入れるとかして両者の誤用を防止しうべき方法をとりえたことを考えると、本件石炭酸水入りの瓶の格納保管について療養所側に万全の措置をとらなかつた手落ちが認められるのであり、療養所側における薬品の保管責任者において右に述べたような措置の一つでもとつていたならば、本件の如き薬品の誤用に基く事故の発生を未然に防止しえたと考えられるのである。

四、そこで、次に、本件事故を惹起した少年自身の経歴・資質・性格等についてみるに、

少年は農業を営む実父K、実母M子の間の二男三女の三女として本籍地で出生し、本籍地の○○村立○○小学校及び同村立△△中学校をいずれも優秀な成績で卒業したのち、看護婦を志して、昭和三八年四月国立○○療養所附属看護学院に入学し、二年の課程を終了して同四〇年二月同学院を上位で卒業した。右卒業と同時に同年同月二九日秋田県准看護婦試験に合格して、同年四月一日国立○○○療養所に厚生技官(看護助手)として採用され、同年五月七日准看護婦の免許の下附をうけて現在に至つている。

また少年は同療養所内の看護婦宿舎に起居して看護の業務にたずさわるかたわら、昭和四〇年四月九日○○学院高等学校第二部(夜間部)の第二学年に編入学し、今日まで同学院において正看護婦の資格の取得を目指して勉学に励み、その学業成績において、第二学年時には一〇一名中第四番、第三学年時には一〇一名中第二番の各最優秀の成績を収め、現在同学院の第四学年に在学中の学生でもある。

少年の小学校以来高等学校までの学校における生活指導上の事項に関する観察の結果は、小学生時においては、「素直で真面目。」、中学生時においては、生活習慣・自主性・責任感・根気強さ・自制心・向上心・協調性・情緒の安定等の項目の評定のほとんどがABC三段階の「A」であり、准看護学院在籍当時の評定も、安定・親切・協力性・忍耐力・誠実性・信頼性・計画性・礼儀等の一〇の項目が最上位の「5」であり、その余の一〇の項目も全て「4」にして、「3」ないし「1」の評定を受ける項目は皆無であつたし、○○学院高等学校においては、「品行方正にして、情緒も安定しており、常に衆の模範的な存在である。」との評定を受けていることがそれぞれ認められる。

そして少年の国立○○○療養所における准看護婦としての勤務態度も、明朗且つ極めて温厚で同僚や患者間から信頼されていたものであることが認められる。

右述の諸事実に徴すると、本件少年の資質・性格に特に問題となる点は認められず、明晰・勤勉・誠実・堅実・明朗・情緒の安定その他凡そ一九歳の少年にとつて好ましい点を兼備した少年であると認められる。このことは当裁判所の調査の結果からも肯認しうるところである。

しかして、少年は、本件事故を惹起したことによつて痛く動揺して一時は自殺を考えたようであり、本件審判時においても、少年の沈痛な態度に、本件事故が少年に及ぼした影響の激しさを看取することができたのであるが、少年は自分の過失について深い悔悟の念を持ち、本件事故後三度被害者の墓に詣でて冥福を祈り、遺族に対しては謝罪の意を表明しており、少年の自己の行為に対する責任の痛感と反省には真摯なるものが認められる。

五、以上にみたように、本件薬品誤用事故の背後には、些少の過失さえも重大な結果を招来することのありうるべき危険な業務に従事するにも拘らず、月間八回程度に及ぶ一人制の深夜勤があるなど必ずしも良好でない勤務条件の下に勤務する看護婦でありながら熱心に定時制高校への通学をも両立させようと努力していた少年に蓄積していた疲労、就中連続深夜勤の疲労が本件当時の少年の注意力の集中を妨げていたこと及び少年の勤務していた第五療棟下における石炭酸水の保管格納の方法が妥当でなかつたことを考えると、本件非行における少年の過失の内容、発生した結果、被害者の遺族の感情(目下療養所少年側と示談が進行中である。)、あるいは社会的影響等の点は軽視すべきでないにしても、前記のような優れた資質・性格を有し、本件事故に対しても深く反省を示している本件少年に対し、刑事処分をもつて臨むのは、同人が間もなく成人に達する少年であるとしても、相当でないと考える。

しかして、少年を保護処分に付する理由の有無について検討するに、本件非行は勿論少年にとつて初めての非行であるし、その非行の態様及び少年の資質に照すと少年が今後も同種の(もしくは異種の)非行を重ねる具体的な虞も無いのみならず、少年の家庭等の生活環境にも問題となるべき点は認められず、他に本件少年を保護処分に付すべき要保護性の存在を窺わしめるに足る何らの事由も見出すことができない。

かくて、本件につき少年を保護処分に付すべき必要はないと認められるので、少年法第二三条第二項の規定に則り主文のとおり決定する。

(裁判官 竹沢一格)

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